隠してきたこと
イベント無事終了~~~~!^^!
やり切った!!!
泣いて笑って気づいて焦って落ち込んでイライラして怒って感動して、最高の気分で!!
この1週間で、た~~~くさんの感情を味わえた!!!
このイベント中にね、 「dive taboo」っていうタイトルのファッションショーがあった。
名前の通り、「タブーに飛び込め!」なの。
タブーとして、隠してきたことを表現して「タブーじゃなかった!」「ありのままでいい!」を自身も体感し、そして見ているみんなにもそれを感じてもらうショーだった。
書くのは、簡単。
でも、本当に自分が無意識でもひた隠しにしてきたこと
「体は女だけど 心は男」
「やけどの跡」
「アトピーの肌」
「抗がん剤で つるぴかの頭」
「自分を責めることで亡き者にしてきた怒り」
「感性が人と違いすぎる 好きなものキレイと思うものが違う。独特の感性」
「太った身体」
「貧乳」
ETC,,,
それを表現するっていうことは、本当に勇気がいる。
それを、今回表現したいと思ったストーリー(その人の歴史)を知った上で見た、ファッションショー。涙が止まらなかった。
隠して生きるということは、自分が一番その自分自身を否定してるということ。
だって、世間でなかなか受け入れてくれないから、、、、、、、。。。。。
そう。
分かる。
目に見えないものも、、、
きつい。
表現して、理解してくれる人ばかりではないから。
可愛そうって見られたり。
そうはいっても、できるやろ!!って言われたり。。。
実は、
小5年の娘は、ADHD(注意欠陥多動性障害)。
多動がないから、分かりにくいだけで、確実にADHD。
特に女の子は多動がないことが多いから気づかれにくいよ!参考資料
多動のない注意欠陥。
だから、とにかく片付けが苦手。
時間管理や、物の管理は大の苦手。物忘れもすごい。
人から借りたものでもなくしてしまったり。。。
2年前に分かって、正直ショックだった。
でも、なるほど、って。
だから、大事なテストも途中でイラストに注意が向いて、落書きして最後まで回答しなかったりする。
ADHDと分かってからでも、私も
「ちゃんとし~や~!!!」って、めっちゃイライラしてしまう。
家族にももちろん伝えた。
けれど、、、、そこへの配慮は、、、、全く、、、ない。
家族でさえ、理解ができないみたい。
ま、よくある個性やろ、みたいな。
受け入れられないんだと思う。
いまだに。
担任の先生にも伝えた。でも、
先生「ずっとそういう目で見てしまって、◎×▲、、、!!」
その新任の先生の言葉を受けて、、、
来年度は伝えるの辞めよう、、、、、って思ってしまった。
目に見えないものって、理解しにくい。
サボってるように見えたり、できるのに、やっていないように見える。
例えばこれが、目に見える障害、足が不自由で動けない、とか、周りも理解しやすいし、助けやすいんだろう。
でも、この注意欠陥は、目に見えない。
多動もないから、分かってもらいにくい。
一番、生きづらいのは、本人だろう。
あまりにも、理解してもらえない。
ショーに出演している皆さんの、生きづらさを感じて、娘と重ねて、また涙が出る。
言っても分かってもらえない。。。。。
この絶望感は、やばい。。。
でも、ここを守るのは私しかいない。
私は、娘がADHDであることも受け入れて、彼女が生きやすく、
それでも自信をもっていられるように、接していこう。
そのための環境は、私が整える。
私だって、そこはどうサポートするのが一番いいかなんて、分からない。
でも、本当はサポートなんていらないのかも。とも思ってる。
「学校生活」とかの枠にはめようとするから、生きにくいだけで、
彼女は彼女の好きなことを存分に楽しみ、集中して楽しいことに打ち込み、
今を楽しみ、自分を貫く方法を知り、友達と遊ぶことがとにかく大好きで、
いろんな人と物おじせずコミュニケーションがとれる!
十分に素晴らしくって、それでいい
ありのままでいいじゃん!!
何かを修正して、
大多数の「普通」
に合わせて生きろ!!!
なんて、変じゃない???
でも、多くは言う。
「そこ、変だよ!!
修正して、大多数の「普通」
に合わせて生きろ!!!」
って。
それって、
「女の身体なんだから、心は男でも女として生きろ!」ってこと?
人は、みんなそれぞれ違う
価値観も違う。
大事なものも違う。
好きなものも違う。
違って苦しいなら、
苦しい所から離れればいい。
手放してみるからこそ、
見えるものも、きっとある
いいじゃん!!!
人はそれぞれ、みんな違う。
みんな違って、みんないい
この言葉を心から理解し合えたら、
みんな幸せだ
最高のイベントに参加させてもらえて、幸せでした